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2010年8月18日水曜日

【週刊韓(カラ)から】「慰安婦デモ」 日本大使館前でルポ

ソウル市にある駐韓日本大使館前で毎週水曜日正午から、旧日本軍の元慰安婦や支援者らが、日本政府の公式謝罪や法的補償を求めて行っている抗議集会「水曜デモ」。1992年1月に始まり、今年8月11日で930回を数えた。水曜デモを3回に渡って取材。その様子を伝える。

(ソウル 水沼啓子)

水曜デモを主催するのは、慰安婦問題を解決するために設立された韓国の団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」。韓国の反日団体の急先鋒(せんぽう)として知られる。

ただ実際にその日のデモを仕切るのは挺対協とは限らず、毎回違う。日韓の支援団体や学生らが当日のデモを企画し司会進行を務めており、参加者らも同じメンバーとはかぎらない。

7月21日の水曜デモは、ソウル市立大学総学生会の進行で行われた。夏休み中ということもあり大学生らの姿が目立った。30度近い気温の中で行われ、元慰安婦の女性は6人が参加。「日本政府は謝罪しろ、謝罪しろ」「国家賠償しろ、賠償しろ」とシュプレヒコールをあげていた。

この日のデモには、「3年越しの希望がかなって参加した」という東京都・品川区役所労働組合の組合員の姿もあった。約10人ほどが参加。「本当にごめんなさい。日本に戻ってたくさんの女性に伝えたい。ともにがんばりましょう」と訴えていた。

8月4日のデモは、日本から来た「日本軍『慰安婦』被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会」が企画。元慰安婦の吉元玉さん(83)の体験談を寸劇にして韓国語で披露していた。

参加者に中・高校生らの姿が目立った。元慰安婦は3人が参加。この日の最高気温は32度、湿度66%と、じっとしていても汗が流れるような蒸し暑さだった。

デモに参加したソウル市内の中学3年の女子生徒(15)は「もともと慰安婦問題には関心がなかったが、学校の先生に夏休みの宿題としてデモに参加するように言われた」と話していた。

「連絡会」のメンバーらは、デモの中でなぜか慰安婦問題とは直接が関係ない「朝鮮高校授業料無償化」も訴え、「在日」が日本でどれだけ差別されているかを切々と説いていた。

また寸劇の中では、こんなせりふが登場。

「これからも戦争してやろうと考えている人たちは、拉致事件を利用して日本と朝鮮民主主義人民共和国が仲良くなることをじゃましている。日本と朝鮮が仲良くなれば戦争に備える必要がなくなる。米国が日本に軍事基地を置く口実もなくなる。バックに米国の意図があるんです」

劇とはいえあまりにも荒唐無稽(むけい)な話。しかも「あなたたちは朝鮮総連と何か関係があるのですか」と突っ込みたくなるような政治的なメッセージも込められている。デモに参加していた韓国の若者たちが、言葉通りに受け止めたのではないかと心配だ。

8月11日は、前日に菅直人首相の“謝罪談話”が閣議決定されたことや4日後の15日に光復節(日本統治から解放されたことを祝う日)を迎えることから、普段の10倍近くの約500人が集結。元従軍慰安婦は7人が参加した。全国女性連帯が進行役を務め、歌あり、踊りあり、朗読ありで約1時間半に渡って延々と続いた。

途中で、大声を張り上げながら日韓併合条約の無効などを訴えて「1人デモ」を繰り広げる中年の韓国人男性が登場。警察官が取り囲むなど一瞬騒然としたが、しばらくすると警察官もマスコミも周りから立ち去ると、誰からも注目されないまま1人でデモを続けていた。

デモの中で、元従軍慰安婦の金福童さん(84)が大使館に向かって、こう声を張り上げた。最後は罵声(ばせい)に近い言葉だった。

「大使!大使とは何をする人か?日本政府にはっきり伝えてください。老人たち(元従軍慰安婦たち)がみな死ぬ前に謝罪と賠償をしなさい。分かっているのか。悪いやつら!心もないやつら!」

一方、水曜デモは日本大使館前の歩道を占拠する形で行われており、週日ということもあり、周辺のオフィスで働くサラリーマンやOLらの通行を妨げていることは間違いない。「邪魔だ。もっと違うところでやれ」と、怒鳴りながら通り過ぎるサラリーマン風の中年男性の姿もあった。

日本大使館前には常時、警察車両が待機し警察官が警備に当たっているが、水曜デモの際は増員され、私服の警察官らもデモも見守っている。8月11日のデモのときは、警察のバス7台が大使館前を取り囲むように縦列駐車し、物々しい雰囲気だった。

2010年8月15日産経新聞より引用-----

韓国人の元従軍慰安婦と自称する人達が運動をしているが,当の元従軍慰安婦ですら従軍慰安婦のことを分かっていないことが「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」という名称から明らかになる.

「女子挺身隊」というのは,1943年に創設された14歳以上25歳以下の女性が市町村長,町内会,部落会,婦人団体等の協力によって構成されていた勤労奉仕団体のこと.政府は翌年の1944年に勅令第519号をもって,女子挺身勤労令を公布したが,1945年3月に国民勤労動員令によって吸収されたため挺身隊は国民義勇軍に再編成された.日本における挺身隊というのはあくまで通常の勤労奉仕団体であり,軍需工場の工員や保育士や看護士として国の為に動員されただけである.

ではなぜ韓国では「挺身隊」=「従軍慰安婦」ということになっているのか? その答えは,韓国では警察・公務員によって在韓米軍相手慰安婦挺身隊と呼ばれていたのである.これは旧日本軍とは全く関係がなく,朝鮮戦争時から韓国人自らが外国人に奉仕する売春婦のことを挺身隊と呼んでいただけである.すなわち韓国人が騒いでいる従軍慰安婦問題などというものは大東亜戦争後に韓国人がでっち上げた問題なのだ.だから「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」などというおかしな名称になっているのである.

韓国の反日教育は徹底していると感じる.

デモに参加したソウル市内の中学3年の女子生徒(15)は「もともと慰安婦問題には関心がなかったが、学校の先生に夏休みの宿題としてデモに参加するように言われた」と話していた。

宿題がデモの参加とは恐れ入る.これに対して日本では教育現場では何も手を打たないばかりか,逆に従軍慰安婦問題があったかの如く歴史教育をしている教師もいる. こんなことでは,いつの日か従軍慰安婦問題が本物と見なされ国際的にも日本人が行なった蛮行として後世に語り継がれてしまうだろう.

フランスは返還拒否 韓国からの“略奪文化財”

【ソウル=黒田勝弘】日本から韓国への“文化財返還”があらためて問題になっているが、フランスは韓国への返還をいまなお拒否し続け、交渉は17年間も難航している。

フランス所有の韓国文化財というのは、李朝末期の1866年、フランス艦隊がソウル近郊の江華島に侵攻し、島にあった王室文庫の「外奎章閣」から奪っていった文書。

日本から“引き渡し”が予定されているのと同じ王室儀礼に関する「儀(ぎ)軌(き)」で、191種・297巻がフランス国立図書館(BNF)に所蔵されている。

韓国の返還要求に対し1993年、当時のミッテラン大統領が訪韓の際、うち1巻を「永久貸与」として韓国政府に引き渡した。フランスとしては韓国への高速鉄道売り込みの“手みやげ”だった。

韓国側はこれをきっかけにすべての返還を期待し交渉を続けたが進展はなかった。最近、韓国政府は「永久貸与」式の“返還”を打診しているが、フランスは応じていないという。

フランス側は文書の所有権はあくまでフランスにあるとし「返還」には強く反対してきた。「永久貸与」も国内法上、問題があるほか、数多くの他の外国文化財の返還問題にも火が付く恐れがあるため、決めかねているという。

フランスは韓国からの明らかな“略奪文化財”であっても「返還」には応じていないのが実情だ。

今回、菅直人首相の「首相談話」は韓国側に「返還」ではなく「お渡ししたい」としている。いわば「無償譲渡」という感じだ。対象は日本政府(宮内庁)保管の「王室儀軌」167巻というが、これが日本側に渡った正確な経緯は日本統治時代(1910~45年)をふくめ必ずしも明らかでない。

日韓間では1965年の国交正常化の際、文化財返還も交渉の対象になり、双方の政府合意で一定のものは返還された。

しかし韓国側は「まだ日本には数多くの韓国文化財が存在する」とし、略奪とは関係ない売買、収集などによる民間所有のものをふくめ返還を求める声が続いている。

2010年8月18日産経新聞より引用-----

【正論】拓殖大学客員教授・藤岡信勝 日本がハングルを学校で教えた

日本の歴史教育では、小学生段階から日清戦争を扱い、日本はこの戦争に勝って清から賠償金を取り、台湾を日本の領土にしたことを教えているが、日本が日清戦争をたたかった真の目的を教えていない。

戦争に勝った国は、講和条約の最初の条文にその国が最も欲することを書き込む。日清戦争の戦勝国である日本が日清講和条約(下関条約)の第一条に書き込んだのは、領土でも賠償金でもなく、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言だった。日本が最も求めていたのは、朝鮮国の清国からの独立だったのである。なぜか。

◆半島に自主独立国家を期待

欧米列強の脅威にさらされていた明治の日本は、自国の安全を確保するため、朝鮮半島に自主独立の近代化された国家が成立することを強くねがった。福沢諭吉は次のように論じた。

「いま西洋が東洋に迫るそのありさまは、火事が燃え広がるのと同じである。この火事から日本という家を守るには、日本の家だけを石造りにすればすむというものではない。近隣に粗末な木造家屋があれば、類焼はまぬかれないからである」

日本、朝鮮、清国という、お互いに隣り合う家屋の安全のためには、隣の家の主人を半ば強制してでもわが家に等しい石造りの家をつくらせることが必要である、というのが福沢の考えであり、明治政府の考えでもあった。近代日本の置かれた立場を理解させない歴史教育は教育の名に値しない。

◆朝鮮語を「奪った」との謬論

李朝時代の朝鮮が「粗末な木造家屋」であったことは、朝鮮の外交顧問であったアメリカ人のスティーブンスさえ、日露戦争のあとで、次のように述べていたことからわかる。

「朝鮮の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財産を略奪している。そのうえ、人民はあまりに愚昧(ぐまい)である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされるであろう」

朝鮮の近代化は、日韓併合後の日本統治によって初めて実現した。日韓併合100周年に当たっての菅直人首相の謝罪談話を推進した仙谷由人官房長官は8月4日、日本の「植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった」と発言した。あまりの無知に開いた口がふさがらない。ここでは、日本が朝鮮人から「言葉を奪った」という官房長官の妄想についてだけとりあげる。

日本統治時代、朝鮮半島に在住した日本人は、人口の2%に過ぎない。2%の人間がどうして他の98%の人間から、土着の言葉を「奪う」ことができるのか。

仙谷氏は、日本統治下の学校で日本語が教えられたことを、誤って朝鮮語を「奪った」と一知半解で述べたのかもしれない。それなら、この謬論(びょうろん)を粉砕する決定的な事実を対置しよう。

韓国人が使っている文字、ハングルを学校教育に導入して教えたのは、ほかならぬ日本の朝鮮総督府なのである。

李朝時代の朝鮮では、王宮に仕える一握りの官僚や知識人が漢文で読み書きをし、他の民衆はそれができないままに放置されていた。ハングルは15世紀に発明されていたが、文字を独占していた特権階層の人々の反対で使われていなかった。それを再発見し、日本の漢字仮名まじり文に倣って、「漢字ハングル混合文」を考案したのは福沢諭吉だった。

◆先人の苦闘の歴史冒涜するな

朝鮮総督府は小学校段階からハングルを教える教科書を用意し、日本が建てた5200校の小学校で教えた。日本は朝鮮人から言葉を奪うどころか、朝鮮人が母国語の読み書きができるように文字を整備したのである。

併合当時、韓国の平均寿命は24歳だったが、日本統治の間に2倍以上に延び、人口の絶対数も倍増した。反当たりの米の収穫量が3倍になり、餓死が根絶された。はげ山に6億本の樹木が栽培され、100キロだった鉄道が6000キロに延びた。北朝鮮が自慢げに国章に描いている水豊ダムは、日本が昭和19年に完成させた、当時世界最大級の水力発電所だった。

これらのめざましい発展は、統治期間に政府を通じて日本国民が負担した、現在価値に換算して60兆円を超える膨大な資金投下によってもたらされた。本国から多額の資金を持ち出して近代化に努めたこのような植民地政策は世界に例がない。日本の朝鮮統治はアジアの近代化に貢献した誇るべき業績なのである。

日韓併合100年の首相謝罪談話は、このような歴史的事実を無視した虚偽と妄想の上に成り立っている。それは、わが国の先人の苦闘の歴史を冒涜(ぼうとく)するものであると同時に、日本統治下で近代化に努力した朝鮮の人々の奮闘をも侮辱するものであることを忘れてはならない。

(ふじおか のぶかつ)
2010年8月18日産経新聞より引用-----

2010年8月16日月曜日

【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 史実書きかえは韓国の方が困る

今年は日韓併合100年記念ということで、韓国で日韓併合条約無効論が盛りあがりを見せ、日本の非良心的・反進歩的知識人が5月に、それに同調する声明を出した。今回、自信喪失内閣が、首相談話で「無効」論に荷担しなかったことは、ひとまず慶賀しなければなるまい。

≪「無効」では辻褄が合わなく≫

遠く異朝をとぶらえば、朝鮮王朝などという王朝はなかった。朝鮮国の李朝である。この李朝は高麗武将のクーデターによる簒奪(さんだつ)王朝である。国名は明に決めてもらった。米ハワイ大学図書館には朝鮮から中国への書状の写しが残されているが、17世紀から18世紀までの4人の王の賀状が含まれている。即位の年には、「朝鮮国、権署国事、臣李某」から始まり、「国事をかりに処理する臣下の李」とはっきり書かれている。朝鮮は中国の属国であった。

19世紀に入り、日清戦争の結果、下関条約により朝鮮は独立し、大韓帝国となった。その後、1910年に日韓併合されて日本植民地となるのだが、2001年の国際会議で英ケンブリッジ大学の国際法学者、J・クロフォード教授が主張されたように、「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」。

しかし韓国では、併合条約は強制されたもので、不義不当であり、ゆえに不法無効であると言いつづけている。無効では勿論(もちろん)ないが、かりに無効だとすれば、かえって困ることになるのではないか。下関条約以降、今日までずっと独立国だったということになる。さすれば、当時の大韓帝国の主権であった王権は一体いつ消滅したのか。民権にいつ移行したのか。27代の王、純宗が1926年に逝去する。子の李垠は戦後まで王宮に帰らなかったので、純宗の死と共に王権は消滅したのである。大韓民国が民権をもってスタートするのは、1948年の建国以降であるから、それまでの22年間、主権の空位が生じてしまう。「日本国権署国事期」とでもするのであろうか。

≪「不幸な歴史」は認めるが…≫

韓国の歴史が不幸であったことは筆者も認める。中国の属国から、近代日本にもぎ取られて植民地となり、国権は失ったものの、ようやく白衣貧窮の古代経済から解放された。年平均3・7%の経済成長を遂げ、近代日本によって移植された民法典と私有財産制は朝鮮人すべての財産を守った。コメは増産され、経済法則に則(のっと)って日本に輸出された。これらはすべて、韓国の経済史学者らによって実証されたことである。

しかるに、戦後、38度線で体制が北と南に分裂した。北はソ連の傀儡(かいらい)国家から始まり、主体思想により自立の道を歩もうとしたが、経済の不振はふたたび朝鮮を中国の半属国の地位におとしめてしまった。中朝の歴史をフラッシュバックするように、北はしょっちゅう中国へお伺いを立てに行く。

韓国は一層努力した。前身は、属国と植民地だけの歴史である。独立は自力で勝ち得たものではなく、アメリカから棚ぼた式で降ってきた。そして三方を海に囲まれ、北方には行けず、いわば「島化」したのだが、この困難な状況下で国民国家として何とか自立しなければならなかった。そのため他律性そのものであった歴史を自立的な歴史に書きかえようと奮闘した。それを日本の左派学者たちが虚偽の学説で支援しつづけた。

≪教育の改悪を止めること≫

彼らは言った。朝鮮の農村マニュファクチュアは1860年代に成立していた、と。日本では桜田門外の変の頃である。あり得べくもない話だが、その資本主義の萌芽(ほうが)を植民地日本が摘んでいったのだと、韓国の左派学者は主張した。ちなみに現在のイギリス史では、農村マニュファクチュアが資本主義の萌芽になることを既に否定している。毛織物では寒い地方しか着ないから販路が狭すぎる。独立自営農民たるヨーマンは、もうけると皆地主になった。資本主義は綿織物をもってインドとの三角貿易に従事したジェントリーが起こしたものである。これを現在のイギリスで「ジェントルマン資本主義」と称している。

韓国は立派に資本主義国家として自立し、歴史上初めて中国の影響下を脱することができたのである。最早(もはや)これ以上、歴史を改竄(かいざん)する必要がどこにあるのだろうか。

もうよい、韓国人よ、正気にもどれ。韓国の歴史教科書がひどい内容であることは、韓国の心ある人々はもうみんな知っている。日本人も、非良心的・反進歩的知識人以外はみんな分かっている。教育がこれ以上悪くなれば、推計300万といわれるアメリカ等への脱南移民はさらに増えることだろう。タイムマシンに乗ったつもりで、過去の事実を書きかえれば書きかえるほど、現在との矛盾に苦しむのは寧(むし)ろあなた方なのだ。

最後に、日本人の優しさから今回貴重な図書を渡すが、どうか行方不明の例をこれ以上作らぬよう、保管力を是非高めていただきたい。(ふるた ひろし)

2010年8月16日産経新聞より引用-----

2010年8月12日木曜日

【検証・日韓併合100年】

7月21日、複数の民主党有力議員が韓国・ソウルを訪れた。彼らは旧知の青瓦台(大統領府)幹部らとの会談でこう尋ねた。

「どのような首相談話を希望されるのか」

韓国サイドは「日本のやりやすいものを行動でみせていただければ、高く評価できる」と応じたという。

仙谷由人官房長官が、日韓併合100年にあたり首相談話を検討していることを明らかにしたのは7月16日の記者会見だった。

突然の表明に慌てた事務方は仙谷氏に「村山談話を超えるものは無理だ。補償問題に踏み込めば、中国やフィリピンなどアジアが沸騰する」と再三説明した。平成7年に終戦50年に際して村山富市首相(当時)が発表した首相談話はアジア全般を対象とした。新談話ではどう新味を付けるのか。通常ならば事務レベルが両国の相場観を探るが、政治主導にこだわる民主党政権でそれはなかった。

結局、これが、先述の政治家が相手国中枢部に直接尋ねるという外交の常識外の珍事につながった。いきさつを聞いた政界筋は「民主党は外交も国対の感覚なんだな…」とあきれた。

× × ×

日韓併合100年をどう乗り切るかは昨年来、両国政府の懸案だった。政府レベルの行事は行わず、静かにやり過ごすーこれが当初のコンセンサスだった。

昨年9月の政権交代で韓国側が期待値を上げた時期もあったが、小沢一郎前幹事長の定住外国人への地方参政権付与に関する世論を無視した「空手形」や、鳩山由紀夫前首相の米軍普天間飛行場移設問題での迷走を横目に、韓国の民主党熱は急速に冷えていった。

再び韓国の期待に火を付けたのは民主党の「歴史観」だった。「自虐史観」「贖罪意識」といった方がよいかも知れない。

2月に初訪韓した岡田克也外相は、柳明桓外交通商相との共同記者会見で日韓併合100年を「大きな節目の年である」と明言し、「民族の誇りを傷つけられた人々の気持ちは理解できる」と踏み込んだ。

続いて今春には民主党幹部から韓国側にあるマル秘計画が伝えられた。関係者は「日本政府が今夏に慰安婦政策の転換を検討中という話だった」と証言する。

政策転換とは、慰安婦らの個人補償問題を政府・与党で進めることを指す。昭和40(1965)年の日韓基本条約と関連協定で両国は個人補償請求権問題を「完全かつ最終的」に解決しているが、政策転換が実現すれば、日韓条約体制を覆すことになる。

実際、民主党は20年までの9年間、元慰安婦に国が謝罪し、金銭支給する「戦時性的強制被害者問題の解決促進法案」を国会に提出してきた。

法案の旗振り役である仙谷氏は7月7日、日本外国人特派員協会で講演し、こう述べた。

「法律的に正当性があるといってそれだけで物事が済むのか。改善に向けて政治的な方針を作り、判断をしなければいけない案件もあるのではないか」

日韓戦後処理に「新たな個人補償」の政治方針も可能だと示唆したに等しい。これが政権ナンバー2の発言だっただけに衝撃は大きかった。

4日後の7月11日に民主党は参院選で大敗した。もし民主党が参院選を制していれば、談話に日韓「65年体制」(基本条約体制)を根底から揺るがす内容が盛り込まれたかもしれない。

× × ×

7月16日、仙谷氏によって日本政府が新談話の検討に入ったことが公言されると、韓国サイドは外交ルートのみならずさまざまな要望を提示した。

その最右翼は「日本が『強制的な日韓併合条約(1910年)はそもそも無効であった』と認めれば、最高だ。どうせ出すなら村山談話や河野談話を上回ったものにしてほしい」(外交官ルート)という日韓併合条約の不法・無効論だった。日本の事情に通じる知日派は「戦後補償には発展しない形でのお詫びでいい。戦後補償までいくと日韓関係がぼろぼろになってしまう」(政治家ルート)との提言を伝えた。

7月27日、韓国・ソウル市でシンポジウム「日韓の過去100年を回顧するとともに未来100年を設計する」が開かれた。

主催は盧武鉉政権下で慰安婦、竹島、教科書問題などの歴史認識に関し、反日強硬路線の歴史見解をまとめた「東北アジア歴史財団」。日本から日韓議連会長に就任した渡部恒三元衆院副議長ら与野党議員数人と研究者らが出席した。

渡部氏は「非常に歓迎されました。韓国の皆さんはこれからの100年が東アジアにとって大事であると前向きな話だった」と打ち明けるが、新談話への要望がいくつも出たという。

「朝鮮半島はこれから統一の時代に入る。日本にはいい役割を果たしてもらいたい。また中国の台頭を牽制するためにも日韓連携は重要だ。それにむけ日本は戦略的な決断をすべきだ」

ある韓国国会議員はこう言って、竹島(韓国名・独島)、慰安婦、教科書問題をまとめて解決するよう促したという。

だが、参院選大敗により、仙谷氏が固執した個人補償にからむ政策転換はお蔵入りとなった。談話の方向性は7月末に「村山談話」の踏襲でほぼ固まり、韓国側の求める文化財引き渡しなどをこれに加える方針に集約されつつあった。

それでも民主党内では首相談話への異論が日ごとに強まった。ある保守系議員は危機感をにじませる。

「歴史問題を突出させれば政権そのものが吹っ飛ぶ。いまの官邸の政策決定システムは危うい」
× × ×

日韓は平成27(2015)年に国交正常化50周年を迎える。この慶事を前に日韓併合100年に併せた首相談話が必要だったのか。村山談話を絶対視する政権首脳は理念ばかりを先行させた。そこには歴史問題を外交から切り離し成熟した関係を築くーという戦略性は見えてこない。(久保田るり子)

日韓併合100年の首相談話は当初、8月15日に予定されていた。

「出すのなら、早くならないか」

こう打診したのは韓国側だった。

韓国で反日ナショナリズムがメディアを中心に高まる8月15日の光復節(日本統治からの解放記念日)には、李明博大統領の演説がある。併合100年の大統領演説には大きな注目が集まる。韓国側はこう持ちかけた。

「15日に(談話の)評価を込めて演説をしたい」

韓国側の要望は2つ。(1)「村山談話」(平成7年)の「痛切な反省」の主語として、併合が韓国人の「意に反して行われた」との言及が欲しい(2)文化財返還も、談話に入れてほしい-。菅談話は、(1)も(2)も受け入れた。特に「意図に反した併合」のくだりは韓国の史観の引き写しかと見まがうばかりだ。

李政権にとって、今夏の対日政策は、国内政治だったという見方もある。李明博政権は8月で後半任期に入り、すでに次期大統領選を意識した展開に入っている。進歩勢力が李政権の対応の甘さを指摘して反日運動が燃えさかっては困る。今夏をうまく乗り切る必要があった。

両国政府を「菅談話」に集約していった背景には、国際情勢も影響していた。 日本の菅政権が自民党政権下になかった東アジア共同体などアジア重視を打ち出そうとしたのに対し、韓国の李明博政権にとっては、北朝鮮による哨戒艦撃沈事件発生後、対日政策より対北対応が焦眉(しょうび)の急となっていた。

「韓国は日本の重要性を再認識していた」(外交筋)
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仙谷由人官房長官は7月28日午前の記者会見で、7月末の予定だった平成22年版防衛白書の閣議了承を9月以降に先送りすると発表した。唐突な発表だった。防衛白書には今年も当然、竹島(韓国名・独島)領有が明記されていた。

仙谷氏は「東アジアの平和と安定は日韓連携の強化に尽きる。その観点からあらゆる政策課題を判断する」と、この先送りが8月に併合100年に関連する節目(15日の光復節、条約署名の22日、条約発効の29日)への配慮であることを認めた。

韓国政府筋によると、この数日前、日本は青瓦台(韓国大統領府)に「防衛白書の閣議了承を延期する」と伝えていた。官邸は念入りに李政権の立場を斟酌(しんしゃく)したのだ。

何のための延期か、国内では疑問の声が相次いだ。「延期しても秋に出す。内容は変更しないのだから、かえって韓国側からの反発が強まる」と政府内には官邸の過剰な配慮の愚策を指摘する声は絶えない。

7月29日、権哲賢・駐日韓国大使が首相官邸を訪れた。相手は仙谷官房長官。2人は初対面。名目は「表敬」であるが、防衛白書先送りへの「あいさつ」でもあった。

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談話の用語をめぐって問題視する指摘が相次いでいる。代表的なのが冒頭部分だ。

「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられました」

韓国側の求めに応じ「意に反して」などの文言を盛り込んだため肝心の主語が日本ではなく韓国となってしまった。また、「政治的・軍事的背景」との用語を入れる必要があったのか。「まるで反日勢力の抗議文だ」と疑問視する専門家もいる。

談話は「歴史を直視する勇気」の段落で「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛」と述べた。首相談話に法的拘束力はないものの、なぜ、「多大の犠牲」ではなく「損害」なのか。

「首相談話で『損害』が認められたことを喜んでいるのは北朝鮮だ。将来の国交正常化交渉で北朝鮮が一気に優位に立った」と懸念する専門家が少なくない。

(久保田るり子)

2010年8月10日・11日産経新聞より引用-----

【櫻井よしこ 菅首相に申す】36回…なぜ謝罪続ける

歴史に関して日本国政府がどれほど謝罪を重ねてきたかを調べてみると、その夥(おびただ)しさに愕然(がくぜん)とする。ざっと見て、日中国交正常化当時の田中角栄以来、菅直人首相の談話まで、実に36回に上る。

歴代の首相、官房長官、昭和天皇および今上天皇の発言の一覧表を前にして、なにゆえにわが国はこれほど心からの反省を誓い続けるのかと暗澹(あんたん)たる思いである。

8月10日の菅首相談話は、仙谷由人官房長官、鳩山由紀夫前首相ら、民主党政権首脳の合作である。同談話に執念を燃やした仙谷長官の役割はとりわけ重要だ。明らかに早い段階から新たな謝罪談話発表に強い意欲を抱いていた氏は、7月7日の日本外国特派員協会での会見で韓国への戦後補償は不十分と表明した。同月16日の会見では、談話の内容は「私の頭の中に入っているし、官房で多少イメージしている」と語った。

だがそれは、菅、鳩山両氏らと共有されてはいても、その外側には杳(よう)として伝わってこなかった。官邸が民主党側に内容を伝えたのは発表前日だったといわれる。

党に諮るどころか、全文を事前に見せもせず、検討、議論の時間も場も与えずに承諾させる手法が、仙谷氏の流儀である。その手法は、「仙谷よ、お前もか」と言いたいほど、小沢一郎氏のそれにうり二つである。小沢氏の独裁的手法に反発した本人が第二の小沢になっているのである。

菅、仙谷、鳩山氏らの連携作業は謀議と呼ぶべきもので、仙谷氏らが独裁者の手法を用いて秘密を保持しつつ閣議決定した菅談話には、未来永劫(えいごう)、村山談話と同質の卑怯(ひきょう)なだまし討ちの影がついて回るだろう。

菅、仙谷両氏は、恰(あたか)も国民の意思を代表するかの如く、談話を発表したが、歴史についての知識や理解は恐ろしいほどに貧しく、国家観を欠落させた氏らにその資格はないだろう。

名著「日韓2000年の真実」を著した名越二荒之助(ふたらのすけ)氏は、アヘン戦争から日韓併合に至るまでの約70年間は日韓両国ともに最も波乱に富んだ深刻、複雑な時代であると書いた。日韓の学者の中に、日清戦争も韓国併合も日本にだけ責任を負わせる人が多いのは残念で、韓国自身の責任を取り上げないのは、韓国のためにならないと、日韓の歴史研究に心血を注いだ名越氏は指摘している。

「アメリカの鏡・日本」の著者、ヘレン・ミアーズ氏は、「一九一〇年、日本が韓国を併合したのは、新皇帝が請願したからだった」と書いた。日本が悪と見なされた敗戦直後に、日本を公平な目で観察し、静かに真実を積み重ねて著した同書に、マッカーサーは激怒した。日本での出版を禁じられた同書が日の目を見たのは占領終了後の1953(昭和28)年だった。

ミアーズ氏は日韓併合について、日本は一つひとつ手続きを外交的に正しく積み上げていた、そして宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成した、と書き、「列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法的な手続きを踏んでいなかった」と記した。

日露戦争までは描いたが、その後の日本の戦争については拒否感を示して描かずに逝った司馬遼太郎氏でさえ、当時の国際社会を、「植民地になるか、産業を興して軍事力をもち帝国主義になるかの二者択一の時代」と位置づけ、「侵さず、侵されずの平和幻想は粘土細工の粘土のようなもの」つまり、如何(いか)ようにも作り上げ得るものだと述べている。

いずれも、歴史を現在の価値観で断ずることを戒めているのだ。だが仙谷氏の発想はおよそすべて現在の価値観に基づくのみならず、事実誤認も目につく。氏は談話発表直前の8月4日、こんな発言をした。「植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった」

この程度なのである。韓国は長年、日本人が土地を奪った、実に全国土の四割を奪ったと教科書に記述し、教えてきた。だが2006年2月、この説はソウル大教授の李榮薫(イ・ヨンフン)氏らの研究で全面否定された。李教授はじめ一群の研究者らの調査で、日本総督府が土地を奪って日本人に与えた事例は皆無だったこと、総督府は土地紛争をめぐる審査においては「公正であった」ことが発表された。

右の学術報告は、わかり易い文章にされ、史実の歪曲(わいきょく)が少なくない現行教科書に替わる「代案教科書」として発行された。同書はここ数年のベストセラーであり、韓国の教育科学技術部(文科省)が高校教科書に修正要求を出す事態も発生している。

官房長官が未(いま)だにそうした事実も知らずに発言する知識不足の内閣は、日本と日本国民にとって、不幸と災いの内閣である。韓国にとっても非建設的である。

100年の歴史をふりかえるにしても、植民地時代をはるかに超える長さになった日韓基本条約締結後の日韓の協力をこそ、より前向きに評価し、強めていくことが重要ではないか。とりわけ北朝鮮の脅威の前で、日本は韓国の未来の安定に資する政策を取らなければならない。そのために、たとえば普天間移設問題を責任を持って急ぎ解決しなければならないことくらい、認識してほしいものだ。

2010年8月12日産経新聞より引用-----

2010年6月20日日曜日

慰安婦問題の真実

既に沈静化しメディアでは報じられなくなったが,未だ従軍慰安婦問題を信じている人が多い.しかし,従軍慰安婦問題とは日本の国益を損ねる問題なのである.そこで従軍慰安婦問題の真実を載せる.

まずは「従軍慰安婦」の定義からする.これは【強制的】に慰安婦として軍に連行された女性達のことをいう.「慰安婦」とは【自らの意志】または【軍に関与しない第三者】を介して男性の性欲を処理するために軍に付き添った女性達のことである.ちなみにこの時代の日本は公娼が認められていた.いわゆる売春が公に認められていたのである.このため貧しい農家の娘などが親に売られるようなことがよくあった.もちろん南北朝鮮は日本の一地方であり,これらの地域からも(もちろん現在の日本からも)自らの意志でまたは親に騙されて売られた女性も多く存在していたのである.

韓国人の証言
慰安婦動員が強制的でないことは客観的歴史的事実です.
例えば,慰安婦を集めて商売をしていた業者がいたんですよ.
「従軍慰安婦」ではなくそれは単に「慰安婦」という話です.
慰安婦業者の半分以上が朝鮮人でした.
従って何のために強制でやる必要がありますか?金のためでしょうよ.
「慰安婦」には一部証言がありますが,証拠はありません.
韓国と日本には客観的な資料も何もないのです.

加害者の証言がない
吉田清治氏(偽名,本名・雄兎)の嘘証言があるだけ.
吉田氏は軍命令により全羅南道済州島で徴用隊10人,現地軍の兵10人とトラック2台によって女性205人を強制連行したという(『私の戦争犯罪--朝鮮人強制連行』昭和58年).
しかし,吉田氏の証言が全くの嘘であることは,現地の『済州新聞』(1989年8月14日許栄善記者)の記事や秦郁彦氏の現地調査(『正論』平成4年6月号)などで明らかだ.
吉田証言を取り上げさんざん強制連行を煽った『朝日新聞』すら「朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが,間もなく,この証言を疑問視する声が上がった」(平成9年3月31日)と事実上の否定宣言を行っている.

目撃証言がない
被害者と称する人がいても目撃証言が韓国人の中から全く出てこないのも不思議な話だ.

戦後の日韓国交樹立に当たっての交渉過程で慰安婦問題は取り上げられていない
日韓交渉は14年間にも及び微細に両国間に存在する問題が逐一取り上げられたが,慰安婦問題について韓国側も一切言及しなかった.

何故国際問題化したのか?
平成になって『朝日新聞』が火をつけ,宮澤喜一政権が「謝罪」路線に走ったから.
平成3年8月11日,『朝日新聞』の植村隆記者が元慰安婦の証言なるものを報じた(大阪本社版).これが「慰安婦問題」のそもそもの発端だった.当時,韓国内でも一切報道はなされていなかった.
その内容は金学順氏が「女子挺身隊」として「戦場に連行された」との捏造報道だった.
女子挺身隊は日本国内の軍需工場や被服工場などに動員された人々で「戦場」に出向くはずがないし,もとより将兵の性欲処理とは全く無縁だ.さらに金氏は「連行」されたのではなく貧しい母親に売られたのだった.
つまり「慰安婦問題」は『朝日新聞』の捏造報道から始まったのである.
同年12月16日,韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が元慰安婦3人を含む35人を原告として1人2000万円,計3億円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした(高木健一主任弁護士).
これを『朝日新聞』が大々的に報じたことにより一挙に重大問題化した.
しかも問題を決定的に悪化させたのは,当時の宮澤首相の姿勢だった.
真相を明らかにし,どこまでも事実に基づいて韓国と対応することをしないで韓国側に責められるままに非を認め謝罪することで事態を沈静化しようとした.
それが宮澤内閣総辞職前日に発表された河野官房長官談話(平成5年8月4日)だった.
これによって日本政府自身が「官憲等」による慰安婦の「強制」連行への「直接」の「加担」を認めたことになり,国際社会における我が国の名誉は著しく傷つけられた.
また,植村隆という記者は高知県生まれ.早稲田大学政治経済学部卒業後,1982年朝日新聞入社.千葉支局,韓国特派員を経て,現在朝日新聞中国特派員.韓国語の学習のため朝日新聞社員になってから延世大学に留学もしている.妻は,日本政府に対してアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を起こした韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会の常任理事,粱順任の娘.
ようするに植村隆は義父のための元慰安婦の証言なるものをでっち上げたのである.

日本は元慰安婦に対して賠償責任はない
軍,官憲等による強制連行の事実が確認できない上に,昭和40年の日韓国交樹立の際に締結された「請求権・経済協力協定」によって「完全かつ最終的に解決された」ことが両国間で確認されている.
日本は同協定によって無償3億ドル,有償2億ドル計5億ドルを韓国に供与する巨額の経済協力を行った(当時の韓国の外貨準備高は1億3000万ドル).

インドネシアでの慰安婦問題の対応
高木健一は1993年にインドネシアを訪れ,地元紙に「補償のために日本からやってきた.元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した.スエノ社会大臣は事件を焚きつけた日本人達(共産党・朝日新聞・日弁連ら)に対して「インドネシア政府は,この問題で補償を要求したことはない」「しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお金を払いたいというので戴くが,元慰安婦個人には渡さず,女性の福祉や保健事業のために使う」「日本との補償問題は,1958年の協定により,完結している」との声明を発表している.また,ジャマル・アリ会長の評価は「ばかばかしい.針小棒大である.一人の兵隊に一人の慰安婦(インドネシアに居た日本兵は約2万人だった)がいたというのか.どうしてインドネシアのよいところを映さない.こんな番組,両国の友好に何の役にも立たない.我々には,日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある.『お金をくれ』などとは,360年間,わが国を支配したオランダにだって要求しない(インドネシア・タイムス)」との声明を発表している.

結論
慰安婦問題は法的にも史実的にも実在しない.河野談話による政治的幻影のみが存在し,日本の国益を損ない続けているのだ.

下記に日本の国益を損なわせた詐話師吉田清治の経歴等を載せておく.

吉田清治(よしだせいじ,1913年10月15日-)は,日本の陸軍軍人の経歴を持つ文筆家.強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長.福岡県(山口県とも)出身.清治は筆名で,本名は吉田雄兎.

1947年,下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補.129票を獲得したが落選しているという経歴を持つ.
1977年,『朝鮮人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版.その中で,第二次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言.1982年には第一次樺太朝鮮人裁判で朝鮮人の奴隷狩りを証言.1983年,いわゆる従軍慰安婦問題の発端となった『私の戦争犯罪』を上梓した.その後も朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開.韓国にも赴き,講演と謝罪を繰り返した.このような告白,謝罪を行ったのは吉田のみであった為,当時,吉田は「勇気ある唯一人の告白者」とされていた.
1989年8月14日,韓国済州島の地元紙『済州新聞』が取材結果をもとに「『私の戦争犯罪』は捏造」と報じた.1992年3月には現代史家・秦郁彦(元日本大学法学部教授)が,吉田の「慰安婦狩りを行った」という証言について済州島で現地調査を行ったが明確な裏付けは取れなかった.当時を知る島民は「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが,そんな話は聞いたことすらない」との証言をした.同書は韓国語訳され現地の『済州新聞』で住民の証言をもとに論評がなされているが,「あり得ないこと」「(このような作り話の本は)道徳性の欠如した本で,軽薄な金儲け主義的」と一蹴されている.秦は,同記事の執筆者,許栄善と面談の折,「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ答えに困窮したという.秦は調査結果を公表し,『昭和史の謎を追う』(文藝春秋1993年3月)に掲載し,菊池寛賞を受賞した.
また,上杉聰は吉見義明・中央大学教授とともに吉田と面談した結果,「秦の論拠だけで吉田の証言を嘘と断定することはできないが,歴史証言としては採用できない」としている.
1996年5月29日付の週刊新潮インタビューで,吉田は「本に真実を書いても何の利益もない.事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは,新聞だってやるじゃないか」と『私の戦争犯罪--朝鮮人強制連行』中の記述において,「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と偽証を認めたが,「人間狩りをした」という主張は変わっていない.しかし,現実の問題として吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず,検証が不可能であるために,2010年現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることは,ほぼなくなった.
1998年,吉田は秦との電話会見に応じ「人権屋に利用された私が悪かった」と反省の弁をほのめかしていた.秦はその後の調査結果をまとめ,公刊した.

2010年6月16日水曜日

NHKスペシャル

日本と朝鮮半島
第3回 戦争に動員された人々
~皇民化政策の時代~

韓国併合から100年,日本と朝鮮半島の関係史に迫るシリーズ第3回は日中戦争から太平洋戦争の時代を描く,

この時代,朝鮮総督府は皇民化政策を推進し,朝鮮半島の人々を戦争に動員していく.番組では,志願兵,女子挺身隊に動員された生存者,そして特攻隊の遺族を追跡。戦時動員が朝鮮半島の人々にどのような被害をもたらしたのか,そしてその補償はどうなっているのか.最新の資料を基に皇民化政策と戦時動員の実態に迫る.

NHKオンラインより引用-----

また犬HKは日本人の韓国に対する贖罪意識を植え込むのか!こんな馬鹿げた報道をするよりも日韓併合は国家として機能できず他の国家に押しつぶされそうになっていた朝鮮を,日本が救い出したという事実をしっかり日本人に伝える役目が日本放送協会の役目だろ!年寄りの役員達は学生運動で騒いでいた連中だし,それより若い連中も在日枠があり,かなりの割合で在日韓国人がいるメディアなどどれも信用できない.こんな放送局に受信料など払う必要はない.もし受信契約をしてしまったという人には次のサイトをお勧めする.

解約(解除)方法について

また,勘違いしている人が多いと思うのでここで説明をしておく.
植民地と併合の違いを知っているだろうか?植民地とは西欧諸国がやったように有色人種国家を自分の支配下に置き,その国民を奴隷同然に使い農作物や資源を強制的に奪い取るものであり,併合とは併合される側の国民を併合する側の国家の法律に基づき同じ国民として扱うものである.
もっと詳しく書けば,植民地では本国と異なった法律が施され,先住民には国籍や市民権が与えられなかったり,国籍を与えても「属領籍」「外地籍」「海外籍」のように本国人とは異なる法的身分に編入され,権利義務について別個の取り扱いがなされた.もちろん教育などを施せば反乱の危険があるので学校などの施設は建設されることはない.そして本国からの一方的な搾取によって植民地が疲弊していったのである.
それに対して日韓併合とは,満州に権益を得た帝政ロシアが南下政策を取りつつあり,このままでは大韓帝国はロシア支配下になってしまい消滅する.そこで日本が大韓帝国に救いの手をさしのべて併合し大韓帝国の国民は全て日本国民とし,朝鮮人に教育を施し(当初ほとんどの朝鮮人は文盲であったのを日本人がハングルを広めたのである.しかも日本語を強要せず教科書は日本語・ハングル併記であった),医療施設・教育施設・道路・鉄道などのインフラを整備し,国家予算のほとんどを朝鮮のために注ぎ込んだのである.ちなみに併合前と併合後では朝鮮人の人口は2倍に増えている.植民地では重労働や劣悪な環境が体を蝕み寿命が短くなるのが当たり前であるが,もし併合が植民地と同じであったなら何故これだけ人口が増えたのであろうか?朝鮮人はゴキブリ並の繁殖力でもあるのだろうか?
下の写真は日韓併合前と併合中の朝鮮の写真である.


これに対して現代の韓国人は日本に文句を言ってきているが,まさに恩を仇で返す行為である.さすが世界中から嫌われている民族だけのことはある.

生活保護受給の外国人,初の1万人突破 大阪市

生活保護受給世帯が全国最多の大阪市で,外国人の受給者が初めて1万人を突破したことが13日,市への取材で分かった.10年前の2.2倍で,市内の外国人登録者の12人に1人の割合.最も多い在日韓国・朝鮮人で国民年金に加入していない「無年金世代」が高齢化したことが理由とみられる.
保険料を納めた年金受給者よりも,生活保護受給者の方が国から多額の資金を受け取る不公平な実態も浮かび上がっている.
市によると,4月現在の在日外国人の生活保護受給世帯は7268世帯で,受給者は1万35人.市全体の受給者(14万1672人)の7.1%を占める.3月末の外国人登録者(12万597人)を基に計算すると8.3%が受給しており,市全体の受給率(5.3%)を大きく上回った.
平成13年度に市が実施した調査では,外国人受給世帯の92%は在日韓国・朝鮮人だった。同様の統計結果がない現在も、比率に大きな変化はないとみられる。

2010年6月14日 MSN産経ニュースより引用-----

一人あたり月12万円大阪市から出されるらしいが,年間だと144万円さらに1万人ということは144億円である.さらに生活保護であるから家賃はただ,税金も免除,各種補助制度もあり,医療費もただである.それらを加えれば300億円は軽く超えるであろう.しかもこれは大阪だけの数字である.さらに頭に来るのが1999年のデータだが在日韓国人の総数は636,548人で,そのうち無職は462,611人である.つまり在日韓国人の72.7%が無職なのだ.人のよい日本人は長年に渡ってこいつらを養っているのである.
ダラダラとし働きもせず遊びまくって,その上日本国民の血税をがぶ飲みする寄生虫はパッパと故郷の朝鮮に帰りやがれ!
無職の外国人が強制送還されるのは,移民国家でも常識である.

参考-----
外国人の生活保護の適用について,1954年5月8日付け,社発第382号厚生省社会局長通知により

「外国人は法の対象とはならないが,当分の間,生活に困窮する外国人に対しては一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱に準じて」保護を行う(保護の準用)とされている.

この社会局長通知は「外国人に対する保護は法律上の権利として保障したものではなく,単に一方的な行政措置によって行っている」としている.

すなわち在日への生活保護は,日本人からの恩恵であって,在日の権利ではなく,今すぐ止めてもなんの差し支えも無く,在日には文句を言う権利はない.