2010年8月18日水曜日

【週刊韓(カラ)から】「慰安婦デモ」 日本大使館前でルポ

ソウル市にある駐韓日本大使館前で毎週水曜日正午から、旧日本軍の元慰安婦や支援者らが、日本政府の公式謝罪や法的補償を求めて行っている抗議集会「水曜デモ」。1992年1月に始まり、今年8月11日で930回を数えた。水曜デモを3回に渡って取材。その様子を伝える。

(ソウル 水沼啓子)

水曜デモを主催するのは、慰安婦問題を解決するために設立された韓国の団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」。韓国の反日団体の急先鋒(せんぽう)として知られる。

ただ実際にその日のデモを仕切るのは挺対協とは限らず、毎回違う。日韓の支援団体や学生らが当日のデモを企画し司会進行を務めており、参加者らも同じメンバーとはかぎらない。

7月21日の水曜デモは、ソウル市立大学総学生会の進行で行われた。夏休み中ということもあり大学生らの姿が目立った。30度近い気温の中で行われ、元慰安婦の女性は6人が参加。「日本政府は謝罪しろ、謝罪しろ」「国家賠償しろ、賠償しろ」とシュプレヒコールをあげていた。

この日のデモには、「3年越しの希望がかなって参加した」という東京都・品川区役所労働組合の組合員の姿もあった。約10人ほどが参加。「本当にごめんなさい。日本に戻ってたくさんの女性に伝えたい。ともにがんばりましょう」と訴えていた。

8月4日のデモは、日本から来た「日本軍『慰安婦』被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会」が企画。元慰安婦の吉元玉さん(83)の体験談を寸劇にして韓国語で披露していた。

参加者に中・高校生らの姿が目立った。元慰安婦は3人が参加。この日の最高気温は32度、湿度66%と、じっとしていても汗が流れるような蒸し暑さだった。

デモに参加したソウル市内の中学3年の女子生徒(15)は「もともと慰安婦問題には関心がなかったが、学校の先生に夏休みの宿題としてデモに参加するように言われた」と話していた。

「連絡会」のメンバーらは、デモの中でなぜか慰安婦問題とは直接が関係ない「朝鮮高校授業料無償化」も訴え、「在日」が日本でどれだけ差別されているかを切々と説いていた。

また寸劇の中では、こんなせりふが登場。

「これからも戦争してやろうと考えている人たちは、拉致事件を利用して日本と朝鮮民主主義人民共和国が仲良くなることをじゃましている。日本と朝鮮が仲良くなれば戦争に備える必要がなくなる。米国が日本に軍事基地を置く口実もなくなる。バックに米国の意図があるんです」

劇とはいえあまりにも荒唐無稽(むけい)な話。しかも「あなたたちは朝鮮総連と何か関係があるのですか」と突っ込みたくなるような政治的なメッセージも込められている。デモに参加していた韓国の若者たちが、言葉通りに受け止めたのではないかと心配だ。

8月11日は、前日に菅直人首相の“謝罪談話”が閣議決定されたことや4日後の15日に光復節(日本統治から解放されたことを祝う日)を迎えることから、普段の10倍近くの約500人が集結。元従軍慰安婦は7人が参加した。全国女性連帯が進行役を務め、歌あり、踊りあり、朗読ありで約1時間半に渡って延々と続いた。

途中で、大声を張り上げながら日韓併合条約の無効などを訴えて「1人デモ」を繰り広げる中年の韓国人男性が登場。警察官が取り囲むなど一瞬騒然としたが、しばらくすると警察官もマスコミも周りから立ち去ると、誰からも注目されないまま1人でデモを続けていた。

デモの中で、元従軍慰安婦の金福童さん(84)が大使館に向かって、こう声を張り上げた。最後は罵声(ばせい)に近い言葉だった。

「大使!大使とは何をする人か?日本政府にはっきり伝えてください。老人たち(元従軍慰安婦たち)がみな死ぬ前に謝罪と賠償をしなさい。分かっているのか。悪いやつら!心もないやつら!」

一方、水曜デモは日本大使館前の歩道を占拠する形で行われており、週日ということもあり、周辺のオフィスで働くサラリーマンやOLらの通行を妨げていることは間違いない。「邪魔だ。もっと違うところでやれ」と、怒鳴りながら通り過ぎるサラリーマン風の中年男性の姿もあった。

日本大使館前には常時、警察車両が待機し警察官が警備に当たっているが、水曜デモの際は増員され、私服の警察官らもデモも見守っている。8月11日のデモのときは、警察のバス7台が大使館前を取り囲むように縦列駐車し、物々しい雰囲気だった。

2010年8月15日産経新聞より引用-----

韓国人の元従軍慰安婦と自称する人達が運動をしているが,当の元従軍慰安婦ですら従軍慰安婦のことを分かっていないことが「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」という名称から明らかになる.

「女子挺身隊」というのは,1943年に創設された14歳以上25歳以下の女性が市町村長,町内会,部落会,婦人団体等の協力によって構成されていた勤労奉仕団体のこと.政府は翌年の1944年に勅令第519号をもって,女子挺身勤労令を公布したが,1945年3月に国民勤労動員令によって吸収されたため挺身隊は国民義勇軍に再編成された.日本における挺身隊というのはあくまで通常の勤労奉仕団体であり,軍需工場の工員や保育士や看護士として国の為に動員されただけである.

ではなぜ韓国では「挺身隊」=「従軍慰安婦」ということになっているのか? その答えは,韓国では警察・公務員によって在韓米軍相手慰安婦挺身隊と呼ばれていたのである.これは旧日本軍とは全く関係がなく,朝鮮戦争時から韓国人自らが外国人に奉仕する売春婦のことを挺身隊と呼んでいただけである.すなわち韓国人が騒いでいる従軍慰安婦問題などというものは大東亜戦争後に韓国人がでっち上げた問題なのだ.だから「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」などというおかしな名称になっているのである.

韓国の反日教育は徹底していると感じる.

デモに参加したソウル市内の中学3年の女子生徒(15)は「もともと慰安婦問題には関心がなかったが、学校の先生に夏休みの宿題としてデモに参加するように言われた」と話していた。

宿題がデモの参加とは恐れ入る.これに対して日本では教育現場では何も手を打たないばかりか,逆に従軍慰安婦問題があったかの如く歴史教育をしている教師もいる. こんなことでは,いつの日か従軍慰安婦問題が本物と見なされ国際的にも日本人が行なった蛮行として後世に語り継がれてしまうだろう.

フランスは返還拒否 韓国からの“略奪文化財”

【ソウル=黒田勝弘】日本から韓国への“文化財返還”があらためて問題になっているが、フランスは韓国への返還をいまなお拒否し続け、交渉は17年間も難航している。

フランス所有の韓国文化財というのは、李朝末期の1866年、フランス艦隊がソウル近郊の江華島に侵攻し、島にあった王室文庫の「外奎章閣」から奪っていった文書。

日本から“引き渡し”が予定されているのと同じ王室儀礼に関する「儀(ぎ)軌(き)」で、191種・297巻がフランス国立図書館(BNF)に所蔵されている。

韓国の返還要求に対し1993年、当時のミッテラン大統領が訪韓の際、うち1巻を「永久貸与」として韓国政府に引き渡した。フランスとしては韓国への高速鉄道売り込みの“手みやげ”だった。

韓国側はこれをきっかけにすべての返還を期待し交渉を続けたが進展はなかった。最近、韓国政府は「永久貸与」式の“返還”を打診しているが、フランスは応じていないという。

フランス側は文書の所有権はあくまでフランスにあるとし「返還」には強く反対してきた。「永久貸与」も国内法上、問題があるほか、数多くの他の外国文化財の返還問題にも火が付く恐れがあるため、決めかねているという。

フランスは韓国からの明らかな“略奪文化財”であっても「返還」には応じていないのが実情だ。

今回、菅直人首相の「首相談話」は韓国側に「返還」ではなく「お渡ししたい」としている。いわば「無償譲渡」という感じだ。対象は日本政府(宮内庁)保管の「王室儀軌」167巻というが、これが日本側に渡った正確な経緯は日本統治時代(1910~45年)をふくめ必ずしも明らかでない。

日韓間では1965年の国交正常化の際、文化財返還も交渉の対象になり、双方の政府合意で一定のものは返還された。

しかし韓国側は「まだ日本には数多くの韓国文化財が存在する」とし、略奪とは関係ない売買、収集などによる民間所有のものをふくめ返還を求める声が続いている。

2010年8月18日産経新聞より引用-----

【正論】拓殖大学客員教授・藤岡信勝 日本がハングルを学校で教えた

日本の歴史教育では、小学生段階から日清戦争を扱い、日本はこの戦争に勝って清から賠償金を取り、台湾を日本の領土にしたことを教えているが、日本が日清戦争をたたかった真の目的を教えていない。

戦争に勝った国は、講和条約の最初の条文にその国が最も欲することを書き込む。日清戦争の戦勝国である日本が日清講和条約(下関条約)の第一条に書き込んだのは、領土でも賠償金でもなく、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言だった。日本が最も求めていたのは、朝鮮国の清国からの独立だったのである。なぜか。

◆半島に自主独立国家を期待

欧米列強の脅威にさらされていた明治の日本は、自国の安全を確保するため、朝鮮半島に自主独立の近代化された国家が成立することを強くねがった。福沢諭吉は次のように論じた。

「いま西洋が東洋に迫るそのありさまは、火事が燃え広がるのと同じである。この火事から日本という家を守るには、日本の家だけを石造りにすればすむというものではない。近隣に粗末な木造家屋があれば、類焼はまぬかれないからである」

日本、朝鮮、清国という、お互いに隣り合う家屋の安全のためには、隣の家の主人を半ば強制してでもわが家に等しい石造りの家をつくらせることが必要である、というのが福沢の考えであり、明治政府の考えでもあった。近代日本の置かれた立場を理解させない歴史教育は教育の名に値しない。

◆朝鮮語を「奪った」との謬論

李朝時代の朝鮮が「粗末な木造家屋」であったことは、朝鮮の外交顧問であったアメリカ人のスティーブンスさえ、日露戦争のあとで、次のように述べていたことからわかる。

「朝鮮の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財産を略奪している。そのうえ、人民はあまりに愚昧(ぐまい)である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされるであろう」

朝鮮の近代化は、日韓併合後の日本統治によって初めて実現した。日韓併合100周年に当たっての菅直人首相の謝罪談話を推進した仙谷由人官房長官は8月4日、日本の「植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった」と発言した。あまりの無知に開いた口がふさがらない。ここでは、日本が朝鮮人から「言葉を奪った」という官房長官の妄想についてだけとりあげる。

日本統治時代、朝鮮半島に在住した日本人は、人口の2%に過ぎない。2%の人間がどうして他の98%の人間から、土着の言葉を「奪う」ことができるのか。

仙谷氏は、日本統治下の学校で日本語が教えられたことを、誤って朝鮮語を「奪った」と一知半解で述べたのかもしれない。それなら、この謬論(びょうろん)を粉砕する決定的な事実を対置しよう。

韓国人が使っている文字、ハングルを学校教育に導入して教えたのは、ほかならぬ日本の朝鮮総督府なのである。

李朝時代の朝鮮では、王宮に仕える一握りの官僚や知識人が漢文で読み書きをし、他の民衆はそれができないままに放置されていた。ハングルは15世紀に発明されていたが、文字を独占していた特権階層の人々の反対で使われていなかった。それを再発見し、日本の漢字仮名まじり文に倣って、「漢字ハングル混合文」を考案したのは福沢諭吉だった。

◆先人の苦闘の歴史冒涜するな

朝鮮総督府は小学校段階からハングルを教える教科書を用意し、日本が建てた5200校の小学校で教えた。日本は朝鮮人から言葉を奪うどころか、朝鮮人が母国語の読み書きができるように文字を整備したのである。

併合当時、韓国の平均寿命は24歳だったが、日本統治の間に2倍以上に延び、人口の絶対数も倍増した。反当たりの米の収穫量が3倍になり、餓死が根絶された。はげ山に6億本の樹木が栽培され、100キロだった鉄道が6000キロに延びた。北朝鮮が自慢げに国章に描いている水豊ダムは、日本が昭和19年に完成させた、当時世界最大級の水力発電所だった。

これらのめざましい発展は、統治期間に政府を通じて日本国民が負担した、現在価値に換算して60兆円を超える膨大な資金投下によってもたらされた。本国から多額の資金を持ち出して近代化に努めたこのような植民地政策は世界に例がない。日本の朝鮮統治はアジアの近代化に貢献した誇るべき業績なのである。

日韓併合100年の首相謝罪談話は、このような歴史的事実を無視した虚偽と妄想の上に成り立っている。それは、わが国の先人の苦闘の歴史を冒涜(ぼうとく)するものであると同時に、日本統治下で近代化に努力した朝鮮の人々の奮闘をも侮辱するものであることを忘れてはならない。

(ふじおか のぶかつ)
2010年8月18日産経新聞より引用-----

2010年8月16日月曜日

【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 史実書きかえは韓国の方が困る

今年は日韓併合100年記念ということで、韓国で日韓併合条約無効論が盛りあがりを見せ、日本の非良心的・反進歩的知識人が5月に、それに同調する声明を出した。今回、自信喪失内閣が、首相談話で「無効」論に荷担しなかったことは、ひとまず慶賀しなければなるまい。

≪「無効」では辻褄が合わなく≫

遠く異朝をとぶらえば、朝鮮王朝などという王朝はなかった。朝鮮国の李朝である。この李朝は高麗武将のクーデターによる簒奪(さんだつ)王朝である。国名は明に決めてもらった。米ハワイ大学図書館には朝鮮から中国への書状の写しが残されているが、17世紀から18世紀までの4人の王の賀状が含まれている。即位の年には、「朝鮮国、権署国事、臣李某」から始まり、「国事をかりに処理する臣下の李」とはっきり書かれている。朝鮮は中国の属国であった。

19世紀に入り、日清戦争の結果、下関条約により朝鮮は独立し、大韓帝国となった。その後、1910年に日韓併合されて日本植民地となるのだが、2001年の国際会議で英ケンブリッジ大学の国際法学者、J・クロフォード教授が主張されたように、「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」。

しかし韓国では、併合条約は強制されたもので、不義不当であり、ゆえに不法無効であると言いつづけている。無効では勿論(もちろん)ないが、かりに無効だとすれば、かえって困ることになるのではないか。下関条約以降、今日までずっと独立国だったということになる。さすれば、当時の大韓帝国の主権であった王権は一体いつ消滅したのか。民権にいつ移行したのか。27代の王、純宗が1926年に逝去する。子の李垠は戦後まで王宮に帰らなかったので、純宗の死と共に王権は消滅したのである。大韓民国が民権をもってスタートするのは、1948年の建国以降であるから、それまでの22年間、主権の空位が生じてしまう。「日本国権署国事期」とでもするのであろうか。

≪「不幸な歴史」は認めるが…≫

韓国の歴史が不幸であったことは筆者も認める。中国の属国から、近代日本にもぎ取られて植民地となり、国権は失ったものの、ようやく白衣貧窮の古代経済から解放された。年平均3・7%の経済成長を遂げ、近代日本によって移植された民法典と私有財産制は朝鮮人すべての財産を守った。コメは増産され、経済法則に則(のっと)って日本に輸出された。これらはすべて、韓国の経済史学者らによって実証されたことである。

しかるに、戦後、38度線で体制が北と南に分裂した。北はソ連の傀儡(かいらい)国家から始まり、主体思想により自立の道を歩もうとしたが、経済の不振はふたたび朝鮮を中国の半属国の地位におとしめてしまった。中朝の歴史をフラッシュバックするように、北はしょっちゅう中国へお伺いを立てに行く。

韓国は一層努力した。前身は、属国と植民地だけの歴史である。独立は自力で勝ち得たものではなく、アメリカから棚ぼた式で降ってきた。そして三方を海に囲まれ、北方には行けず、いわば「島化」したのだが、この困難な状況下で国民国家として何とか自立しなければならなかった。そのため他律性そのものであった歴史を自立的な歴史に書きかえようと奮闘した。それを日本の左派学者たちが虚偽の学説で支援しつづけた。

≪教育の改悪を止めること≫

彼らは言った。朝鮮の農村マニュファクチュアは1860年代に成立していた、と。日本では桜田門外の変の頃である。あり得べくもない話だが、その資本主義の萌芽(ほうが)を植民地日本が摘んでいったのだと、韓国の左派学者は主張した。ちなみに現在のイギリス史では、農村マニュファクチュアが資本主義の萌芽になることを既に否定している。毛織物では寒い地方しか着ないから販路が狭すぎる。独立自営農民たるヨーマンは、もうけると皆地主になった。資本主義は綿織物をもってインドとの三角貿易に従事したジェントリーが起こしたものである。これを現在のイギリスで「ジェントルマン資本主義」と称している。

韓国は立派に資本主義国家として自立し、歴史上初めて中国の影響下を脱することができたのである。最早(もはや)これ以上、歴史を改竄(かいざん)する必要がどこにあるのだろうか。

もうよい、韓国人よ、正気にもどれ。韓国の歴史教科書がひどい内容であることは、韓国の心ある人々はもうみんな知っている。日本人も、非良心的・反進歩的知識人以外はみんな分かっている。教育がこれ以上悪くなれば、推計300万といわれるアメリカ等への脱南移民はさらに増えることだろう。タイムマシンに乗ったつもりで、過去の事実を書きかえれば書きかえるほど、現在との矛盾に苦しむのは寧(むし)ろあなた方なのだ。

最後に、日本人の優しさから今回貴重な図書を渡すが、どうか行方不明の例をこれ以上作らぬよう、保管力を是非高めていただきたい。(ふるた ひろし)

2010年8月16日産経新聞より引用-----

2010年8月12日木曜日

【検証・日韓併合100年】

7月21日、複数の民主党有力議員が韓国・ソウルを訪れた。彼らは旧知の青瓦台(大統領府)幹部らとの会談でこう尋ねた。

「どのような首相談話を希望されるのか」

韓国サイドは「日本のやりやすいものを行動でみせていただければ、高く評価できる」と応じたという。

仙谷由人官房長官が、日韓併合100年にあたり首相談話を検討していることを明らかにしたのは7月16日の記者会見だった。

突然の表明に慌てた事務方は仙谷氏に「村山談話を超えるものは無理だ。補償問題に踏み込めば、中国やフィリピンなどアジアが沸騰する」と再三説明した。平成7年に終戦50年に際して村山富市首相(当時)が発表した首相談話はアジア全般を対象とした。新談話ではどう新味を付けるのか。通常ならば事務レベルが両国の相場観を探るが、政治主導にこだわる民主党政権でそれはなかった。

結局、これが、先述の政治家が相手国中枢部に直接尋ねるという外交の常識外の珍事につながった。いきさつを聞いた政界筋は「民主党は外交も国対の感覚なんだな…」とあきれた。

× × ×

日韓併合100年をどう乗り切るかは昨年来、両国政府の懸案だった。政府レベルの行事は行わず、静かにやり過ごすーこれが当初のコンセンサスだった。

昨年9月の政権交代で韓国側が期待値を上げた時期もあったが、小沢一郎前幹事長の定住外国人への地方参政権付与に関する世論を無視した「空手形」や、鳩山由紀夫前首相の米軍普天間飛行場移設問題での迷走を横目に、韓国の民主党熱は急速に冷えていった。

再び韓国の期待に火を付けたのは民主党の「歴史観」だった。「自虐史観」「贖罪意識」といった方がよいかも知れない。

2月に初訪韓した岡田克也外相は、柳明桓外交通商相との共同記者会見で日韓併合100年を「大きな節目の年である」と明言し、「民族の誇りを傷つけられた人々の気持ちは理解できる」と踏み込んだ。

続いて今春には民主党幹部から韓国側にあるマル秘計画が伝えられた。関係者は「日本政府が今夏に慰安婦政策の転換を検討中という話だった」と証言する。

政策転換とは、慰安婦らの個人補償問題を政府・与党で進めることを指す。昭和40(1965)年の日韓基本条約と関連協定で両国は個人補償請求権問題を「完全かつ最終的」に解決しているが、政策転換が実現すれば、日韓条約体制を覆すことになる。

実際、民主党は20年までの9年間、元慰安婦に国が謝罪し、金銭支給する「戦時性的強制被害者問題の解決促進法案」を国会に提出してきた。

法案の旗振り役である仙谷氏は7月7日、日本外国人特派員協会で講演し、こう述べた。

「法律的に正当性があるといってそれだけで物事が済むのか。改善に向けて政治的な方針を作り、判断をしなければいけない案件もあるのではないか」

日韓戦後処理に「新たな個人補償」の政治方針も可能だと示唆したに等しい。これが政権ナンバー2の発言だっただけに衝撃は大きかった。

4日後の7月11日に民主党は参院選で大敗した。もし民主党が参院選を制していれば、談話に日韓「65年体制」(基本条約体制)を根底から揺るがす内容が盛り込まれたかもしれない。

× × ×

7月16日、仙谷氏によって日本政府が新談話の検討に入ったことが公言されると、韓国サイドは外交ルートのみならずさまざまな要望を提示した。

その最右翼は「日本が『強制的な日韓併合条約(1910年)はそもそも無効であった』と認めれば、最高だ。どうせ出すなら村山談話や河野談話を上回ったものにしてほしい」(外交官ルート)という日韓併合条約の不法・無効論だった。日本の事情に通じる知日派は「戦後補償には発展しない形でのお詫びでいい。戦後補償までいくと日韓関係がぼろぼろになってしまう」(政治家ルート)との提言を伝えた。

7月27日、韓国・ソウル市でシンポジウム「日韓の過去100年を回顧するとともに未来100年を設計する」が開かれた。

主催は盧武鉉政権下で慰安婦、竹島、教科書問題などの歴史認識に関し、反日強硬路線の歴史見解をまとめた「東北アジア歴史財団」。日本から日韓議連会長に就任した渡部恒三元衆院副議長ら与野党議員数人と研究者らが出席した。

渡部氏は「非常に歓迎されました。韓国の皆さんはこれからの100年が東アジアにとって大事であると前向きな話だった」と打ち明けるが、新談話への要望がいくつも出たという。

「朝鮮半島はこれから統一の時代に入る。日本にはいい役割を果たしてもらいたい。また中国の台頭を牽制するためにも日韓連携は重要だ。それにむけ日本は戦略的な決断をすべきだ」

ある韓国国会議員はこう言って、竹島(韓国名・独島)、慰安婦、教科書問題をまとめて解決するよう促したという。

だが、参院選大敗により、仙谷氏が固執した個人補償にからむ政策転換はお蔵入りとなった。談話の方向性は7月末に「村山談話」の踏襲でほぼ固まり、韓国側の求める文化財引き渡しなどをこれに加える方針に集約されつつあった。

それでも民主党内では首相談話への異論が日ごとに強まった。ある保守系議員は危機感をにじませる。

「歴史問題を突出させれば政権そのものが吹っ飛ぶ。いまの官邸の政策決定システムは危うい」
× × ×

日韓は平成27(2015)年に国交正常化50周年を迎える。この慶事を前に日韓併合100年に併せた首相談話が必要だったのか。村山談話を絶対視する政権首脳は理念ばかりを先行させた。そこには歴史問題を外交から切り離し成熟した関係を築くーという戦略性は見えてこない。(久保田るり子)

日韓併合100年の首相談話は当初、8月15日に予定されていた。

「出すのなら、早くならないか」

こう打診したのは韓国側だった。

韓国で反日ナショナリズムがメディアを中心に高まる8月15日の光復節(日本統治からの解放記念日)には、李明博大統領の演説がある。併合100年の大統領演説には大きな注目が集まる。韓国側はこう持ちかけた。

「15日に(談話の)評価を込めて演説をしたい」

韓国側の要望は2つ。(1)「村山談話」(平成7年)の「痛切な反省」の主語として、併合が韓国人の「意に反して行われた」との言及が欲しい(2)文化財返還も、談話に入れてほしい-。菅談話は、(1)も(2)も受け入れた。特に「意図に反した併合」のくだりは韓国の史観の引き写しかと見まがうばかりだ。

李政権にとって、今夏の対日政策は、国内政治だったという見方もある。李明博政権は8月で後半任期に入り、すでに次期大統領選を意識した展開に入っている。進歩勢力が李政権の対応の甘さを指摘して反日運動が燃えさかっては困る。今夏をうまく乗り切る必要があった。

両国政府を「菅談話」に集約していった背景には、国際情勢も影響していた。 日本の菅政権が自民党政権下になかった東アジア共同体などアジア重視を打ち出そうとしたのに対し、韓国の李明博政権にとっては、北朝鮮による哨戒艦撃沈事件発生後、対日政策より対北対応が焦眉(しょうび)の急となっていた。

「韓国は日本の重要性を再認識していた」(外交筋)
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仙谷由人官房長官は7月28日午前の記者会見で、7月末の予定だった平成22年版防衛白書の閣議了承を9月以降に先送りすると発表した。唐突な発表だった。防衛白書には今年も当然、竹島(韓国名・独島)領有が明記されていた。

仙谷氏は「東アジアの平和と安定は日韓連携の強化に尽きる。その観点からあらゆる政策課題を判断する」と、この先送りが8月に併合100年に関連する節目(15日の光復節、条約署名の22日、条約発効の29日)への配慮であることを認めた。

韓国政府筋によると、この数日前、日本は青瓦台(韓国大統領府)に「防衛白書の閣議了承を延期する」と伝えていた。官邸は念入りに李政権の立場を斟酌(しんしゃく)したのだ。

何のための延期か、国内では疑問の声が相次いだ。「延期しても秋に出す。内容は変更しないのだから、かえって韓国側からの反発が強まる」と政府内には官邸の過剰な配慮の愚策を指摘する声は絶えない。

7月29日、権哲賢・駐日韓国大使が首相官邸を訪れた。相手は仙谷官房長官。2人は初対面。名目は「表敬」であるが、防衛白書先送りへの「あいさつ」でもあった。

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談話の用語をめぐって問題視する指摘が相次いでいる。代表的なのが冒頭部分だ。

「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられました」

韓国側の求めに応じ「意に反して」などの文言を盛り込んだため肝心の主語が日本ではなく韓国となってしまった。また、「政治的・軍事的背景」との用語を入れる必要があったのか。「まるで反日勢力の抗議文だ」と疑問視する専門家もいる。

談話は「歴史を直視する勇気」の段落で「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛」と述べた。首相談話に法的拘束力はないものの、なぜ、「多大の犠牲」ではなく「損害」なのか。

「首相談話で『損害』が認められたことを喜んでいるのは北朝鮮だ。将来の国交正常化交渉で北朝鮮が一気に優位に立った」と懸念する専門家が少なくない。

(久保田るり子)

2010年8月10日・11日産経新聞より引用-----

中国で謝罪要求再燃? 首相の謝罪談話に

日韓併合100年を受けて菅直人首相が発表した謝罪談話は韓国はもとより中国でも大きな関心を持って報じられた。中国では同国への謝罪を促す論調が目立ち、韓国メディアは評価の一方、強い不満も示した。談話がかえって反日感情を呼び起こすのではないか、との懸念の一端が示された形だ。(北京 川越一)

中国国営新華社通信は10日、産経新聞の社説を引用し、菅首相の謝罪で韓国側が新たな賠償を求める可能性を示唆した。しかし、中国各紙は、談話を日中間の問題にすり替えて報じている。

11日付の北京紙、新京報は「日本がおわびしなければならないのは韓国だけではない」と題する論評の中で、「日本の植民地支配や侵略を受けたのは韓国にとどまらない。北朝鮮も冷酷な統治を受けた。中国、東南アジア諸国も同様に日本帝国主義の苦しみを味わった」と主張し、今回の謝罪は政治的な道具と断じた。

清華大国際問題研究所の専門家は国際情報紙、環球時報に対し、「日本は中国に対し、反省は示しているが、謝罪の言葉はひと言もない」と述べた。謝罪によって日韓関係を強化し、北東アジアにおける中国の影響力を牽制(けんせい)する狙いがあるとの指摘もある。

昨年夏、江蘇省南京市の南京大虐殺記念館で日本の漫画家による「私の八月十五日展」が催された。外交筋によると、終戦前後の体験を描いた漫画は好評を得て、今年は中国各地の虐殺記念館で展示される予定になっている。

同紙が10日、談話発表を受けて行ったアンケート調査によると、回答者の98%が「日本は中国人民に対し、侵略戦争問題について正式に謝罪しおわびするべきだ」と答えた。中国人の一方的な歴史認識に変化の兆しが現れていた矢先、菅首相の謝罪談話は反日の機運を再燃させかねない。

2010年8月12日産経新聞より引用-----

【櫻井よしこ 菅首相に申す】36回…なぜ謝罪続ける

歴史に関して日本国政府がどれほど謝罪を重ねてきたかを調べてみると、その夥(おびただ)しさに愕然(がくぜん)とする。ざっと見て、日中国交正常化当時の田中角栄以来、菅直人首相の談話まで、実に36回に上る。

歴代の首相、官房長官、昭和天皇および今上天皇の発言の一覧表を前にして、なにゆえにわが国はこれほど心からの反省を誓い続けるのかと暗澹(あんたん)たる思いである。

8月10日の菅首相談話は、仙谷由人官房長官、鳩山由紀夫前首相ら、民主党政権首脳の合作である。同談話に執念を燃やした仙谷長官の役割はとりわけ重要だ。明らかに早い段階から新たな謝罪談話発表に強い意欲を抱いていた氏は、7月7日の日本外国特派員協会での会見で韓国への戦後補償は不十分と表明した。同月16日の会見では、談話の内容は「私の頭の中に入っているし、官房で多少イメージしている」と語った。

だがそれは、菅、鳩山両氏らと共有されてはいても、その外側には杳(よう)として伝わってこなかった。官邸が民主党側に内容を伝えたのは発表前日だったといわれる。

党に諮るどころか、全文を事前に見せもせず、検討、議論の時間も場も与えずに承諾させる手法が、仙谷氏の流儀である。その手法は、「仙谷よ、お前もか」と言いたいほど、小沢一郎氏のそれにうり二つである。小沢氏の独裁的手法に反発した本人が第二の小沢になっているのである。

菅、仙谷、鳩山氏らの連携作業は謀議と呼ぶべきもので、仙谷氏らが独裁者の手法を用いて秘密を保持しつつ閣議決定した菅談話には、未来永劫(えいごう)、村山談話と同質の卑怯(ひきょう)なだまし討ちの影がついて回るだろう。

菅、仙谷両氏は、恰(あたか)も国民の意思を代表するかの如く、談話を発表したが、歴史についての知識や理解は恐ろしいほどに貧しく、国家観を欠落させた氏らにその資格はないだろう。

名著「日韓2000年の真実」を著した名越二荒之助(ふたらのすけ)氏は、アヘン戦争から日韓併合に至るまでの約70年間は日韓両国ともに最も波乱に富んだ深刻、複雑な時代であると書いた。日韓の学者の中に、日清戦争も韓国併合も日本にだけ責任を負わせる人が多いのは残念で、韓国自身の責任を取り上げないのは、韓国のためにならないと、日韓の歴史研究に心血を注いだ名越氏は指摘している。

「アメリカの鏡・日本」の著者、ヘレン・ミアーズ氏は、「一九一〇年、日本が韓国を併合したのは、新皇帝が請願したからだった」と書いた。日本が悪と見なされた敗戦直後に、日本を公平な目で観察し、静かに真実を積み重ねて著した同書に、マッカーサーは激怒した。日本での出版を禁じられた同書が日の目を見たのは占領終了後の1953(昭和28)年だった。

ミアーズ氏は日韓併合について、日本は一つひとつ手続きを外交的に正しく積み上げていた、そして宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成した、と書き、「列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法的な手続きを踏んでいなかった」と記した。

日露戦争までは描いたが、その後の日本の戦争については拒否感を示して描かずに逝った司馬遼太郎氏でさえ、当時の国際社会を、「植民地になるか、産業を興して軍事力をもち帝国主義になるかの二者択一の時代」と位置づけ、「侵さず、侵されずの平和幻想は粘土細工の粘土のようなもの」つまり、如何(いか)ようにも作り上げ得るものだと述べている。

いずれも、歴史を現在の価値観で断ずることを戒めているのだ。だが仙谷氏の発想はおよそすべて現在の価値観に基づくのみならず、事実誤認も目につく。氏は談話発表直前の8月4日、こんな発言をした。「植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった」

この程度なのである。韓国は長年、日本人が土地を奪った、実に全国土の四割を奪ったと教科書に記述し、教えてきた。だが2006年2月、この説はソウル大教授の李榮薫(イ・ヨンフン)氏らの研究で全面否定された。李教授はじめ一群の研究者らの調査で、日本総督府が土地を奪って日本人に与えた事例は皆無だったこと、総督府は土地紛争をめぐる審査においては「公正であった」ことが発表された。

右の学術報告は、わかり易い文章にされ、史実の歪曲(わいきょく)が少なくない現行教科書に替わる「代案教科書」として発行された。同書はここ数年のベストセラーであり、韓国の教育科学技術部(文科省)が高校教科書に修正要求を出す事態も発生している。

官房長官が未(いま)だにそうした事実も知らずに発言する知識不足の内閣は、日本と日本国民にとって、不幸と災いの内閣である。韓国にとっても非建設的である。

100年の歴史をふりかえるにしても、植民地時代をはるかに超える長さになった日韓基本条約締結後の日韓の協力をこそ、より前向きに評価し、強めていくことが重要ではないか。とりわけ北朝鮮の脅威の前で、日本は韓国の未来の安定に資する政策を取らなければならない。そのために、たとえば普天間移設問題を責任を持って急ぎ解決しなければならないことくらい、認識してほしいものだ。

2010年8月12日産経新聞より引用-----

2010年8月8日日曜日

追記報告

薬害:サーバリックス不妊説その1および薬害:サーバリックス不妊説その2に追記しました. この記事は1週間で削除します.

2010年8月5日木曜日

櫻井よしこ氏も騙されている「外国人参政権を諦めた」という嘘

櫻井よしこ氏のブログの記事「政府は外国人参政権を諦めていた」にも,まるで民主党が外国人参政権を諦めたような記述があるがそれは間違った解釈である.

ここで,自民党の山谷えり子参院議員が5月27日に提出した質問主意書に対する政府答弁書を見て頂くと一目瞭然である.

「(憲法の規定は)我が国に在留する外国人に対して,地方公共団体の長,その議会の職員等の選挙の権利を保障したものということはできない」と判示されており,政府も同様に考えているところである.

これのどこが外国人に参政権を与えることを諦めたと読めるのだろうか?あくまで,「日本国憲法上,外国人に参政権を与えることは保障していない」というだけで「外国人に参政権を与えることは違憲である」とは書いてないのである.「保障していない」という言葉は「与えてはいけない」という言葉ではない.みなさんも騙されないように.

2010年8月3日火曜日

2010年8月2日衆議院予算委員会

【予算委論戦】菅首相、予算編成で野党意見も反映 谷垣氏が協力約束



衆院予算委員会は2日、菅直人首相と全閣僚が出席して 基本的質疑を行い、菅内閣発足後初の本格論戦が始まった。衆参ねじれを受け、首相は野党に「国民に必要な政策が 実行できる合意を得る場になるよう臨んでほしい」と協力を要請。平成23年度の予算編成についても「場合によって野党の意見も入れな がら実現したい」と述べた。

消費税を含む税制抜本改革では、超党派の協議機関設置に重ねて意欲 を表明。「(税制改革案の)結論を出す期限を切ることは改めたい」と述べ、22年度中の策定方針を撤回した。その上で「大きな税制改正を行う時は国民に判 断を頂く必要がある」と述べ、税制改正前に衆院解散する考えを改めて示した。

米軍普天間飛行場(沖縄県宜(ぎ)野(の)湾(わん)市)移設では「沖縄 の理解を得ることを含めさらにプロセスが必要になる」と述べ、決着を11月28日の沖縄県知事選後に先送りする考えを示した。

一方、自民党の谷垣禎一総裁は税財政改革や国会同意人事では「真(しん)摯(し)な提案があれば 真摯に受け止める」と協力を約束。これを受け、首相は首相官邸で記者団に「谷垣総裁とは建設的な議論ができるのではないか」と期待感を示した。


【予算委論戦】精彩欠く首相、野党の攻勢にタジタジ 涙目になる場面も


菅直人首相にとって就任後初めての本格論戦の場となった2日の衆院予算委員会。衆参ねじれとなり、首相はひたすら低姿勢を続けたが、自民党から米軍普天間飛行場移設問題や「政治とカネ」問題などを攻め たてられ、涙目になる場面も。その精彩を欠いた姿に「政界きっての論客」と言われた野党時代の面影はない。(榊原智)

「民主党の衆院選マ ニフェストは履行不能だ。首相は(通常国会の)代表質問で『参院選で信を問う』と言った。マニフェス トの欺(ぎ)瞞(まん)を解消する手だてはただ一つ。解散総選挙だ!」

自民党の谷垣禎一総裁がこう迫ると、首相は「マニフェストの7 割方は進んでいる」と釈明した。参院選大敗でも続投する理由も「昨年の政権交代への国民の皆さんの期待」をあげただけで政権の旗印を示すことはできなかった。

谷垣氏は「首相は消費税について参院選で言ったのに9月の民主党代表選では言わない。言葉が軽いのではないか」となお攻勢を続けた。 首相は「財政再建では一歩も引くつもりはない」と強弁しながらも「党で議論をお願いしており、代表選で具体的な数字を言うのは控える」と就任当時の意気込 みは影を潜めた。

続く自民党の石破茂政調会長も容赦なかった。

石破氏は普天間問題を微に入り細に入り追及した。文民統制(シビリアンコントロール)が有効に成立する条件を質(ただ)されると首相は思わずこう漏らした。

「口頭試問を受けている感じもしますが…」

石破氏が普天間問題で幹部自衛官の意見を直接聞くよう求めると、首相は「機会をできるだけ早く設けたい」と応諾した。

「首相が沖縄に出向き、今までをわび、罵(ば)倒(とう)されてもこれをやるんだと言う以外ない。最高責任者が逃げれば極東の平和と安定を脅かす」

石破氏がこうたたみ込むと、首相は顔をこわばらせ、目はうっすらと涙を浮かべたが、沖縄入りには「効果的であるならば、何度も足を運ぶ用意はある」と述べただけだった。

「政治とカネ」問題でも散々だった。自民党の柴山昌彦衆院議員は小沢一郎民主党前幹事長の証人喚問実現に向け、指導力を発揮するよう求めたが、首相は「委員会または国会の関係者で議論いただければ…」と人ごとのよう。側近である荒井聡国家戦略相の事務所問題も「専門家の調査も含めてきちんと処理したということなのでそれでよい」とかばった。疑惑追及の急先(せん)鋒(ぽう)だった「クリーン菅」の見る影もない。

場外からも矢が放たれた。首相が「衆院80、参院40程度」の議員定数削減を表明したことを受け、西岡武夫参院議長は2日の記者会見で「行政の長が具体的な削減人数まで出すとは極めて不見識だ。参院が首相の指示を受けることは一切ない」と非難した。

ねじれ国会は初論戦であろうと首相に容赦はない。首相は参院選敗北の重みを肌で感じたに違いない。

首相,初論戦 財政再建 丸投げ

「消費税増税,態度見えぬ」野党反発


菅直人首相就任後初となる2日の衆院予算委員会で,首相は消費税率引き上げについて,超党派協議を呼びかけたほか,平成23年度予算編成で野党への配慮を表明した.ただ参院選の敗因と批判を浴びた消費税増税について大きく姿勢を後退させ,優先課題に掲げる財政再建の軸足は定まらず,【丸投げ】が実情だ.野党も反発を強めており,協力を取り付けるどころではない.

「党を超えて議論する場を検討する」「党の方で議論をいただきたい」

菅首相は,消費税増税をめぐる超党派協議に加え,参院選前に意欲満々だった今年度中の税制改革案の取りまとめも撤回し,党の議論に委ねた.

さらに民主党内から参院選での敗因と批判を浴びた消費税増税をめぐる発言についても「唐突だった」と改めて陳謝.

9月の党代表戦を控え,身内にすら気を使わざるを得ない苦しい立場を露呈した.

一方で菅首相は「経済,財政,社会保障の3つの改革を実現する」と強調.医療や介護などの成長分野に予算を重点配分し,経済成長を実現する「第三の道」の持論もぶった.

だが,社会保障制度の改革に加え,成長分野に配分する財源の捻出にも不可欠な消費税増税に踏み込めない状況では,説得力はない.

腰の定まらぬ菅首相に対し,野党側は「態度がはっきり見えてこない」(谷垣禎一自民党総裁)と反発を強めるばかりだ.

参院選での公約で消費税率の10%引き上げを掲げた谷垣総裁は,先の通常国会で廃案となった自民党提出の「財政健全化責任法案」を空きの臨時国会に再提出することを表明.

これに対し,菅首相は「重要な提案であり,法案が提出された場合は前向きに検討できるようにしたい」とすり寄った.

野党は,窮地に立つ首相の立場を見透かしている.しかも,増税への「毅然とした態度」(自民党の石破政調会長)を示せず,自民党への税率への【抱き付き戦略】を繰り返すかのような首相に協力するような党はどこにもない.

【予算委論戦】どこまで「ブレ菅」? 国家戦略、参政権…


ようやく実現した菅直人政権初の衆院予算委員会。2日、質問に立った自民党の谷垣禎一総裁は「何を議論していいのか分からない」と愚痴をこぼし、石破茂政調会長は「誰を相手に話をしたらいいのか」とぼやく。国家戦略局構想、永住外国人地方参政権-など国の根幹を決める重要課題でひたすらブレ続ける菅政権は輪郭さえもぼやけてきた。(阿比留瑠比)

■あきらめたはずが…


昨年の衆院選でマニフェスト(政権公約)の「5原則5策」の一つに掲げた政治主導実現の柱となる国家戦略局構想が再び注目を集めている。衆参ねじれにより、構想の前提となる関連法案の成立が困難になったことを受け、首相は構想をいったんあきらめ、「シンクタンク機能」への衣替えを指示していた。

ところが、みんなの党が賛同をちらつかせると、がぜんやる気になったようだ。首相は2日の予算委で「政治主導のより重要な役割を戦略室にお願いする」と強調。仙谷由人官房長官も2日の記者会見で「前国会に提出した法案をお願いできたら」と法案成立に期待感を示した。

だが、戦略局構想で具体的にどう進め、どのような政治主導を確立していくか、ビジョンははっきりしない。場当たり的な首相の対応ばかりが目立った。

■参政権もふらふら 


永住外国人への地方参政権付与問題では、推進派は従来、平成7年の最高裁判決が判例拘束力のない「傍論」部分で「(付与は)憲法上禁止されていない」としたのを論拠としてきた。

ところが、鳩山内閣は末期の6月4日の閣議で、それまでの政府答弁を事実上修正。「傍論」部分を省き、「地方首長、議員を選ぶ『住民』とは日本国民を意味する」などと判断した本論だけを引用し、「政府も同様に考えている」とする答弁書を決定した。首相も副総理・財務相として署名しており、参政権付与は無理があるとする政府見解を認めたといえる。

ところが、首相は6月15日の参院本会議で「外国人参政権実現に努力してきた姿勢に変更はない」と語り、なお参政権付与に含みを持たせた。2日の衆院予算委でも松原仁氏(民主)が政府見解をただしたが、首相は答弁しなかった。

【主張】菅首相 腰引けて日本を担えるか


菅直人首相が就任以来、初の予算委員会審議に臨んだ。日本をどうするのかを明確に語ってもらいたかったが、参院選で大敗した釈明の範囲にとどまっている印象が否めない。

内政外交の懸案解決に腰が引けているようにみえる。それでどうして日本丸を担えるのか。

とりわけ問題なのは、消費税増税について、平成22年度中に改革案をとりまとめるとの方針を自ら撤回しようとしていることだ。

首相はこの日、「消費税自体が否定されたのではなく、取り上げ方がまずかった。その面も反省している」などと改めて釈明した。今後の消費税への対応については、民主党内での議論が必要なことや、低所得者対策など多くの課題があることを挙げ、「いつまでにと期限を切ることは改めたい」と述べた。首相は先月30日の国会召集日の記者会見でも「代表選で約束にすることは考えていない」と、消費税の争点化は避けたい考えを示している。

参院選に際し、首相は自民党が掲げた「10%」を参考にし、与野党協議を呼びかけ、今年度中の改革案とりまとめを提起した。予算委では「財政再建はだれが首相でも、だれが政権を担当しても避けられない」と改めて与野党協議を呼びかけ、予算編成に野党の意見を反映させる意向も示した。

だが、民主党内の強い反発を受け、消費税について首相はまたもぶれている。これでは野党側も協議に乗れないだろう。消費税増税の必要性を認めながら具体的な論議は避けようとする姿勢はわかりにくい。引き続き政権を担いたいのなら、懸案解決の処方箋(せん)を示すしかあるまい。

首相への提言機関に格下げされた「国家戦略室」の扱いでも混乱がある。枝野幸男幹事長が一転して「局」への格上げを目指す姿勢を示し、首相も「格下げとは全く違う」と釈明した。だが、首相は「予算編成そのものをやるなら、主計局350人の部隊を官邸に持ってくることになる。そこまでは考えていない」と、戦略局を予算編成の司令塔とする当初構想に否定的だ。このことも昨夏の総選挙で約束したのではないか。

予算委では与党議員からも「どういう国家像を目指すのか」と質問された。首相の発言が同僚議員の心からも離れているとしかいいようがない。

衆院予算委 主な首相答弁

消費税


参院選で消費税に触れたことが大変唐突に受け止められ申し訳なかった.いつまでに結論を出すという期限を示すことは改めたい.ただ,財政再建については一歩も引くつもりはない.社会保障と消費税は一体で議論したい.(税制抜本改革を)党を超えて議論する場について何らかの合意形成ができるなら,検討して欲しいと(玄葉光一郎)政調会長にお願いしている.

自民党の財政健全化法案


法案が出れば真摯に受け止め前向きに検討するように内閣,党に指示したい.

予算編成


衆院マニフェスト(政権公約)の「国民の生活が第一」という考え方と,参院選での「元気な日本を復活させる」という2つの考え方を柱に(平成23年度の)予算編成にあたりたい.与党,場合によっては野党の入れて実現したい.予算編成の中で経済,財政,社会保障の3改革を実現し,雇用拡大を通して経済成長を図りデフレから脱却する.

国会議員の定数削減


まず国会議員が自ら身を切る姿勢の中で,できるだけ年内には実現できるテンポで議論を進めて欲しい.

解散・総選挙


この形で政権運営した上で,しかるべき時に解散なり総選挙で政権選択してもらう.いつまでに解散うんぬんということは考えていない.大きな財政改革を行なうときには国民に判断をいただくことが必要だろう.その考えに変わりない.

国家戦略室


「格下げ」という一部報道があるが,これは逆だ.首相直属というのがポイントだ.(政策)判断の時に政策を提言してくれる位置づけにする.役所は自分のやりたいことを伝えるが,都合の悪い話は上がってこない.首相が考えることに,必要だということを伝えるのが政治主導だ.

普天間移設問題


日米合意をしっかりと実行に移していくのは菅内閣の意志だ.沖縄の負担軽減についても大きく努力する.沖縄に足を運ぶ用意は十分にある.(移設計画決定時期は)沖縄の理解を得ることを含めて,いくつかのプロセスがさらに必要となる.(8月末までの工法に関する検討完了について)決めたことを即,工事という形で実行に移すわけではない.自衛隊幹部から沖縄のことについて話を聞く機会はまだ設けていない.できるだけ早い段階で設けたい.

米海兵隊


北朝鮮をめぐる状況は過去の時代以上に厳しい.米海兵隊が沖縄に基地を含めて存在することは,今の日本の安全にとって必要であるばかりでなく,アジア地域の安定にとっても必要な存在だ.その存在は安全保障にとって抑止的効果を上げている.

文民統制とは


基本的には国民が軍事についても最終的に判断する.しかし現実の社会では,軍事組織に属さない政治家が民主的な手続きの中で判断するのが文民統制と考える.

拉致問題


金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚を招いたことはいろいろ議論があるが,被害者家族にとっても情報を集める上でも大変大きな意味があった.一刻も早い被害者の帰国を実現するために,政府としてやれることは何でもやる覚悟だ.

朝鮮半島有事


朝鮮半島の場合,人数も含めて,より大きな事態となると思うので,民間の飛行機,船などの手配を含め全力を挙げて対応しなければならない.

ねじれ国会


与党として丁寧な議論が必要だ.野党にも,国民に必要な政策を実現できるような形で臨んでほしい.

千葉景子法相続投


法相として適任な方だと思ったので,議席は失われたが,憲法的には民間人が大臣を務めることがしばしばあるので,大臣としての職務を遂行してほしいとお願いした.

小沢一郎前幹事長らの証人喚問


委員会または国会の関係者の中で議論をいただければと思っている.

荒井聡国家戦略担当相の事務所費問題


荒井氏は専門家の調査も含めてきちんと処理をしたということなのでそれでよいと思う.

-----2010年8月3日産経新聞より引用