2010年8月18日水曜日

【週刊韓(カラ)から】「慰安婦デモ」 日本大使館前でルポ

ソウル市にある駐韓日本大使館前で毎週水曜日正午から、旧日本軍の元慰安婦や支援者らが、日本政府の公式謝罪や法的補償を求めて行っている抗議集会「水曜デモ」。1992年1月に始まり、今年8月11日で930回を数えた。水曜デモを3回に渡って取材。その様子を伝える。

(ソウル 水沼啓子)

水曜デモを主催するのは、慰安婦問題を解決するために設立された韓国の団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」。韓国の反日団体の急先鋒(せんぽう)として知られる。

ただ実際にその日のデモを仕切るのは挺対協とは限らず、毎回違う。日韓の支援団体や学生らが当日のデモを企画し司会進行を務めており、参加者らも同じメンバーとはかぎらない。

7月21日の水曜デモは、ソウル市立大学総学生会の進行で行われた。夏休み中ということもあり大学生らの姿が目立った。30度近い気温の中で行われ、元慰安婦の女性は6人が参加。「日本政府は謝罪しろ、謝罪しろ」「国家賠償しろ、賠償しろ」とシュプレヒコールをあげていた。

この日のデモには、「3年越しの希望がかなって参加した」という東京都・品川区役所労働組合の組合員の姿もあった。約10人ほどが参加。「本当にごめんなさい。日本に戻ってたくさんの女性に伝えたい。ともにがんばりましょう」と訴えていた。

8月4日のデモは、日本から来た「日本軍『慰安婦』被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会」が企画。元慰安婦の吉元玉さん(83)の体験談を寸劇にして韓国語で披露していた。

参加者に中・高校生らの姿が目立った。元慰安婦は3人が参加。この日の最高気温は32度、湿度66%と、じっとしていても汗が流れるような蒸し暑さだった。

デモに参加したソウル市内の中学3年の女子生徒(15)は「もともと慰安婦問題には関心がなかったが、学校の先生に夏休みの宿題としてデモに参加するように言われた」と話していた。

「連絡会」のメンバーらは、デモの中でなぜか慰安婦問題とは直接が関係ない「朝鮮高校授業料無償化」も訴え、「在日」が日本でどれだけ差別されているかを切々と説いていた。

また寸劇の中では、こんなせりふが登場。

「これからも戦争してやろうと考えている人たちは、拉致事件を利用して日本と朝鮮民主主義人民共和国が仲良くなることをじゃましている。日本と朝鮮が仲良くなれば戦争に備える必要がなくなる。米国が日本に軍事基地を置く口実もなくなる。バックに米国の意図があるんです」

劇とはいえあまりにも荒唐無稽(むけい)な話。しかも「あなたたちは朝鮮総連と何か関係があるのですか」と突っ込みたくなるような政治的なメッセージも込められている。デモに参加していた韓国の若者たちが、言葉通りに受け止めたのではないかと心配だ。

8月11日は、前日に菅直人首相の“謝罪談話”が閣議決定されたことや4日後の15日に光復節(日本統治から解放されたことを祝う日)を迎えることから、普段の10倍近くの約500人が集結。元従軍慰安婦は7人が参加した。全国女性連帯が進行役を務め、歌あり、踊りあり、朗読ありで約1時間半に渡って延々と続いた。

途中で、大声を張り上げながら日韓併合条約の無効などを訴えて「1人デモ」を繰り広げる中年の韓国人男性が登場。警察官が取り囲むなど一瞬騒然としたが、しばらくすると警察官もマスコミも周りから立ち去ると、誰からも注目されないまま1人でデモを続けていた。

デモの中で、元従軍慰安婦の金福童さん(84)が大使館に向かって、こう声を張り上げた。最後は罵声(ばせい)に近い言葉だった。

「大使!大使とは何をする人か?日本政府にはっきり伝えてください。老人たち(元従軍慰安婦たち)がみな死ぬ前に謝罪と賠償をしなさい。分かっているのか。悪いやつら!心もないやつら!」

一方、水曜デモは日本大使館前の歩道を占拠する形で行われており、週日ということもあり、周辺のオフィスで働くサラリーマンやOLらの通行を妨げていることは間違いない。「邪魔だ。もっと違うところでやれ」と、怒鳴りながら通り過ぎるサラリーマン風の中年男性の姿もあった。

日本大使館前には常時、警察車両が待機し警察官が警備に当たっているが、水曜デモの際は増員され、私服の警察官らもデモも見守っている。8月11日のデモのときは、警察のバス7台が大使館前を取り囲むように縦列駐車し、物々しい雰囲気だった。

2010年8月15日産経新聞より引用-----

韓国人の元従軍慰安婦と自称する人達が運動をしているが,当の元従軍慰安婦ですら従軍慰安婦のことを分かっていないことが「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」という名称から明らかになる.

「女子挺身隊」というのは,1943年に創設された14歳以上25歳以下の女性が市町村長,町内会,部落会,婦人団体等の協力によって構成されていた勤労奉仕団体のこと.政府は翌年の1944年に勅令第519号をもって,女子挺身勤労令を公布したが,1945年3月に国民勤労動員令によって吸収されたため挺身隊は国民義勇軍に再編成された.日本における挺身隊というのはあくまで通常の勤労奉仕団体であり,軍需工場の工員や保育士や看護士として国の為に動員されただけである.

ではなぜ韓国では「挺身隊」=「従軍慰安婦」ということになっているのか? その答えは,韓国では警察・公務員によって在韓米軍相手慰安婦挺身隊と呼ばれていたのである.これは旧日本軍とは全く関係がなく,朝鮮戦争時から韓国人自らが外国人に奉仕する売春婦のことを挺身隊と呼んでいただけである.すなわち韓国人が騒いでいる従軍慰安婦問題などというものは大東亜戦争後に韓国人がでっち上げた問題なのだ.だから「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」などというおかしな名称になっているのである.

韓国の反日教育は徹底していると感じる.

デモに参加したソウル市内の中学3年の女子生徒(15)は「もともと慰安婦問題には関心がなかったが、学校の先生に夏休みの宿題としてデモに参加するように言われた」と話していた。

宿題がデモの参加とは恐れ入る.これに対して日本では教育現場では何も手を打たないばかりか,逆に従軍慰安婦問題があったかの如く歴史教育をしている教師もいる. こんなことでは,いつの日か従軍慰安婦問題が本物と見なされ国際的にも日本人が行なった蛮行として後世に語り継がれてしまうだろう.

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